2014年1月5日日曜日

新春放談「手繰り寄せる系譜」

この正月は この事を考えていた。

元は「手繰り寄せる音」
2010年の8月の濡れた砂ではなく
20108月末のある昼下がり 中華街のヒンズー寺院で
床に寝っ転がりながら ある女と禅問答したテーマだ。

あるミュージシャンを好きになったら
その音が何処からやってきたのか
それを手繰る人と手繰らない人が居るのではないか?
そんなのが 禅問答の発端だった様な気がする。

そして その音を一緒に演っているミュージシャンや
ディレクター、プロデューサー、ミキサー、レーベルにまで
手繰り、またまた 派生して 手繰っていく。
別に手繰らなくても良いのだけど
まっ 手繰った方が 「深化の知」。

これは 生きる事の全てに纏わる事も同じで
料理、食材、着る物、アート、掃除、洗濯、お仕事 等々。
知る事は 知らないより 良いと思うよ。

故きを温ねて新しきを知る。

それは 俺が70年代前半に読み漁ったり、聴き漁ったりの
そして 今も 読み続け 聴き続ける人や
その後 好きになった 新たな人達が居る。

でも 逝ってしまった「知の巨人達」に
大瀧詠一が加わってしまった。

それは僕じゃないよ それ~はただの風さ~♪

風に攫われず 床で舞う数本の髪を眺め

なにをそんなに にらむんだい?
ごらんきみの髪がふる~♪
 
「手繰り寄せる系譜」について 覚酔している。
 

 

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